海の日

今日は昼間は先日講入したばかりの話題のべストせラー、1Q84を1,2巻全て
読破しました。
感想を言うと、物語は非常に面白く、最後まで読者を引きつけるだけの構想と奥行きがありました。
ただこれが、純文学に近いか?と言われると些かの疑問点があります。
かつて私が夏目漱石の三四郎を読んだ時、これが80年以上も前に書かれた物とは
とても、思えませんでした。
先生と言われる人物も三四郎も常に自分の気持ちが揺れ動く、まさに現代人と
同じように多面性を持った人物として、描かれています。
またあの当時の私では深く先生のような人物を理解するのは、無理でした。
つまり、あの小説は読者にも人生経験や哲学的な基礎知識を要求するような
類の小説であると自分の中では理解しています。
1Q84が今まで、最も私に衝撃を与えた、三四郎と同じ衝撃を与えたかというと、そんな事はありませんでした。決してノスタルジーに浸っている訳ではありません。
映画と同じように、本当の名作は、時間の経過とともに、古くなったりは
しないと思うのです。

今は時代も変わり、解りやすさが求められ、そういう要素がないと
べストセラーには成りにくいのかもしれません。
何も今の小説がかつての名作に劣ると言っているのではありません。
村上春樹氏の小説を読むのは今回が初めてで、これからもかつての作品を
読もうとは思います。
ただ、描写は違っても、個人としての人が最後はどうやって他者とかかわっていくのか?
については漱石の鋭い人物描写と共通するものもあります。
たとえ希薄であっても、親子の絆とは、また、本当に人を愛するとはどういう事
なのか?
深く考えさせられるフレーズもあります。また、人はどんな人でも、
それぞれ宿命を背負って生きているという事を強く感じさせる小説でした。
しかし、人物の描写が赤裸々でストレート過ぎるのも、少し気になりました。
私の好みはもう少しオブラートに包んだような表現です。
そして、善悪だけでは割り切れない、多面的な人物表現の方が
リアリティーがあって、好きなのですが、皆さんはいかがでしょうか?
ただその解りやすさが村上春樹氏の人気の由縁かもしれません。

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