三代 復帰しました。
こんにちは。
お待たせしました。私を待っていて下さった患者様、やっと復帰出来ました。
丁度、一年前になります。乳癌の宣告をされたのは・・・。左の乳癌は、ステージ5、右は、ステージ4、左は全摘出でリンパにも転移してました。
手術をして、抗癌剤をやり、先日やっと放射線が終わりました。そして、3週間に1度の点滴をして、今、病院に通院中です。これから、1年間これが続きます。 実を言うと癌を宣告されたのは、初めてではなく、10年前から子宮癌んになり、死と向き合う生活をしておりました。死というのは、不思議なもので、一度、覚悟してしまうと、それほど怖くはなく、上手に付き合って闘うのです。どこまで闘えるのかわかりませんが、最後まで諦めないで命が尽きるまで頑張ります。
私を信じて、待っていて下さっている患者様も最後まで、診て行きたいと思います。
それが、私の励みであり、生きる力を頂いております。
もう15年になりますが、離婚して子供を2人を置いて出た時は、死人同然で毎晩、子供の夢ばかり、朝、目覚めると目脂で目が開かない日が、何年も続きました。その時の苦しさを思えば、今は、逆に幸福だと感じるのです。なぜなら、今2人の子供たちが、心配して一緒に暮らしているからです。だから、今の私があり、死と素直に向き合えるのかもしれません。「神様に感謝です」
秋田の玉川温泉の事は、聞いたことがある人もいるでしょうが、今2、3ケ月に1度、温泉治療をしております。そこでは、癌の末期と言われる方が、多数来ています。そこに行くと、まず驚かされる事は、皆さん前向きで、とても明るく、余命あとわずか、などと思えない方々でした。その方達に言われた言葉が、今も心に残っています。「貴方は、まだ命の宣告をされていないでしょう。まだ幸せだよ!」
皆 苦しんで闘っているのです。 一日でも長く生きようと・・・ 人間というものは、強いものだと、つくづく感じさせられます。
丁度 3か月前、玉川温泉で一人の方と出会いました。夕食のバイキングの時、お皿に梅干しを山ほど積んでいたので、私が驚いて、「身に悪いよ!」と一言・・・それが、お友達の始まりでした。
いろいろお話を聞くと2,3か月前から、何も食べられない状態だったとか・・・
ここに来て、やっと食欲がわき、梅干しだけ食べられるようになったそうです。
その方も乳癌で、病院に行ったら、もう治療してくれなくホスピスの病院を探した方が良いと言われ、この温泉の事をテレビで見たことがあり1度、この温泉に来たかったそうです。でも1人では、お風呂に入れずに困っていたので、4,5回位 一緒に入りましたが・・・それ以上やはり体力は無く、無理の様でした。食事もそれ以来、一緒にするようになりまし。 その食事の時、ご主人が「この人(奥さん)を病気にしてしまったのは、私のせいだ」と言い始めたのです。もっと早くに気付いてあげれれば・・忙しのに、かまけてしまった!」その横で奥様は「ちがうのよ。あなただって、夜、遅くまで私達の為に働いてくれたじゃないの。あなたが、悪いんじゃない。このような運命だったのよ。しょうがないじゃない。」余命わずかと言うのに、恨み事一つ言わないで感謝の言葉とご主人をかばう言葉だけでした。
温泉から帰って1か月後、彼女は旅立って行きました。それを知らされた時、涙が溢れて止まらなくなり、大声で何時間も泣きました。
貴女の数日間の思い出が脳裏から、離れなく、一つ一つの言葉が思い出されてなりません。命のはかなさと、強さを知りました。
今、私の母も寝たきり15年です。私の事もわからなくなりましたが、一生懸命生きてます。
私も常に、優しく思いやりを持って、残りの人生を生きたいものだと思っています。
「どんなに苦しい時が、あっても必ず生きてさえすれば、笑うことが出来る。」と信じてます。
野上歯科の患者様、本当にいろいろご心配をおかけしました。
また、皆様といつも笑顔で会えるように(かつら)頑張ってます。
火曜日と金曜日にお待ちしております。 三代 より
おかえりなさい。
三代さん、おかえりなさい
あまり無理せずに、お仕事してください
私も、泣きました!
正直、このブログを読んで
絶句して、泣きました。
自分の存在がとても小さく思えました。
毎日、色んなことがありますが、
頑張ります。
患者さまと接している時の三代さんは、
一番輝いて素敵です!
みんなの
浅野です。
みなさんのコメント投稿をまた読んで、涙です。
三代さんは、私の母と同じぐらいの年齢で、私にとって、母のような存在です。
というと、三代さんはこんな娘はいらないと笑いながらいいます。
三代さん、本当におかえりなさい。